今、3歳・6歳(小1)・10歳(小5)の母親であるわたし。
保育園や学校 に、子供たちが通いながら、
子供達の成長とともに、わたし自身、たくさんの学びと、変化の渦を感じている。
今月中旬、わたしは、体が震えるほどに・・ドキドキしながらも・・・
「教育委員会の教育長」との面会を申し出て、教育長とお話しする機会をいただいた。
1時間ほどの時間をいただいて、教育長のお話を聞けたことで、世界が広がって見えた。
どういうことかというと、
今の子供たちに何ができるのか?一生懸命考え、行動しているということが、感じることができたこと。
保護者として学校に子供を通わせている親には見えていないくらいに・・立場があるということも含めてですが、
誰よりも考え行動してきていることを感じれたこと。
いじめや不登校の原因 など 本当に色々 底辺の部分に対応しているからこそ見えてる世界というのがあり、
「難しい」と言っていたのが 印象に残っています。
その後、今、私が講師を務めるピアノサウンド瞑想を軸にした内容で、
地域に向けて開催している「感性の教室」について、子育て支援課の課長ともお話しする機会が訪れました。
そこでは 少子化 高齢化 人不足 保育士不足 児童センターのこどもを見る人不足など にあたまを悩ませ
これからは 先の見えない世界。と言っていたのが、印象に残っています。
学校の窮屈さ。
教育方針の限界。
は教育現場も保護者も、立場に関わらず、多くの大人が、感じています。
教育長や子育て支援課長とお話し、腑に落ちたのは、組織内(学校・保育園)にいればいるほど、
なかなか、新しい行動へのアイデアが発生しないということ。
そして、学校へ通う子どもを持つ、親御さんは、こうだったらいいよね! なんでそうしないんだろう?
これじゃ子どもに自由がない・・など意見を持っているが、そのアイデアが学校には伝わっていかない。話してもダメだったとジレンマしている。
なぜでしょう?
どっちかが 正しい。間違い。で捉えていませんか?
学校や行政側は、市民のクレームに近い意見に、どう対応したらいいのか?と悩んでいる。
公平性を求められる組織なだけあり、新しい一歩がなかなか踏み出せない。
今回、教育に関わる権威を持つ方々とお話しして、深く理解できた最大の気づきは、
悩みはみんな一緒なんだ!というところでした。
教育者も、保護者も、立場は違えど、子供達のこれからや、これからの日本を感じ、考えているという点で同志だということです。
本当に、嬉しかった。これは、希望の光ーー!!!ってワクワクしています。
そして、アイデアを持っているのは、保護者側。だ!!!!ということ。
なぜなら、今まさに子ども時代を生きている、一人一人のかけがえのない子供達と毎日を過ごし、
深くつながりあっているのは、親だから!!!
自分の子どもが、本当は何を求めているのか?深く理解し感じることができるのは、親だから!!!
今の子供たちは、「はっきりした意志」を持っています。
3歳の娘は、保育園に通っていますが、何度も何度も私に言いました
「学校へ行きたい!」と。
初めは、私の中の 過去の感覚や 学校とは、そういうものではないという感覚から
いやいや 学校は6歳になってから行く場所。という感覚で、学校にお散歩行けたらいいね・・とかそんな感じで対応していた。
でも、ある時 気づいたんです。
「学校に行きたい」と言い続ける3歳の娘を感じ、これは・・何かあるのかもしれない。
そう思ったその日に、それは起こりました。
10歳の娘が、学校を休み、なぜ休みたくなったのかを、校長先生に話をすることになり、校長先生に会いに行きました。
そこで、娘の話や校長先生の話を聞きながら、私は、小学生が感じている窮屈さを感じました。
同じ学年の子で仕切られた教室の中で、高学年にいくほどにピリピリした感覚・・。
突如、5年生の教室に保育園児が一緒に机を並べている・・そんなビジョンが浮かんで、これだ!と思い、
校長先生に話してみました。
すると、「いいですねお母さん やりましょう」と言ってくださり驚きました。
早速職員の方々にお話しくださり、
保育園長先生にも「いつでも自由に小学校へ来てください。」と話してくださり、、。
3歳の子の小学校への道が開かれました。
校長先生には、地域に開かれた学校になっていくというビジョンがあり・・そのビジョンに、
今回のアイデアが自然に受け入れられたのだと知り、とても嬉しく思いました。
次にやって来た課題。
保育園側が、スケジュールを守りながらその中で散歩の時間に小学校へ行くということが始まりました。
園児が散歩に行く時小学校はちょうど休み時間なのだそうです。
外の池に集まっている保育園児を取り囲むように 小学生が来てくれて賑やかに楽しく過ごしている。
そして休み時間が終わり授業時間になると、スケジュール的に、園児は、保育園に帰らなければならない。
教室に入っても静かにしていられない子もいるし、、、。
ということでした。
私は、仕事の合間をぬい、3歳の娘の今まさに!!の興味である「学校でお勉強したい」を叶えるために、
一緒に学校へ行くことにしました。
そして、長女が3歳の娘のために、机と椅子を準備してくれました。
そして、3歳娘は誰よりも早く、椅子に座って・・誰に教えられることもなく、先生を待っていました。
そして、先生は、3歳娘を見て、よく来てくれましたねー!と声をかけてくださって、彼女にぴったりのドリルを探して出してくださいました。
この日は、鉛筆の持ち方を習い、何度もドリルの線をなぞりながら鉛筆で書いて繰り返しながら、鉛筆の持ち方が上達していました。
びっくりしたことに、1時間の授業を飽きることなく机の上でずっと夢中でお勉強していました。
私は驚きました。
子どもは、自分でわかってる。
今、何に夢中になりたいのか。知ってる。
それは・・奇想天外なアイデアも全て全て含めて・・!!!こうであるのが常識とか・・関係ないんだよーー!!!
あれ???
そうよそうよ。
それは、私が、感性の教室で、大人向けに提供していることだってそういうことだったじゃない。苦笑
純粋な子供を前にして、その奇想天外な発想を大切にしていくことがもつ 影響力を思い知りました!!あっぱれ
いやーありがたい。
一人一人、違って当たり前なんです。
今、大切にしたいことを大切にしていいんです。
応えは、内側にあるよ。
興味や、追求、学びは、まず、内側からはじまる。
素直にそれを表現できる、子供時代から、そのやりたいを重ねていく環境がどんどんますますたくさんの場所で可能になっていってほしい。
だからこそ、私たち家族の体験が、あなたの希望になったら嬉しい。そしてあなたの一歩に繋がったら嬉しい。
うまくいかなかったり、少し上手にできるようになったり、発見があったり、そんな連続の中で
内側で育まれるものがある。
それは、自分といういのちへ信頼 ではないかと思います。
その信頼は、目の前にいる友人を信頼することに自然とつながる。
自分が所属する組織を信頼することに自然とつながる。
自分が描き創造したい世界が生み出されていくことを信頼することにつながる。
教育長も課長も言ってましたが
これからは先が見えない 自分たちが知らない時代を生き抜くための人材を育てなければいけない
そこには・・少し苦渋の印象が見えました。
人間が本来与えられている「感性」を育み、内なるバランス感覚を育む事で、内側がバランス感覚を養うことにより、
社会という場で、それぞれがそれぞれの持ち味を発揮し、
それが、究極的には、社会を調和的に育んでいくことにつながるということだと思います。
ですから、絶対に大丈夫なんです。
本来の力を信じて 前に進んでいくことで、切り開かれていきます。